20220203 ecosystem12



〇と△11回目。

 

無。

 

というか惰性。

 

脳や感情が動いていない感じ。

ただ、指を動かしただけ。

 

惰性で描けるということは、

意識せずに(無意識で)描けているわけであり、

脳のリソースをあまり使用していないということ。

それは「慣れ」の状態であり、

パフォーマンスの維持には繋がるはずである。

 

ただ、自分が絵を描く上で

「慣れること」は良いことなのだろうか。

 

なんというか、

描き手からしたら、クオリティ以前に、

描いていて面白みがないということに尽きる。

 

絵を描くことが自分のライスワークなら、

「慣れ」でルーティン的にこなせることはメリットかもしれないが、

自分は何より好きでやっているんだから、

描いていて残念な気持ちになるものをわざわざ描く必要はない。

 

「慣れ」は、

自分が絵を描いているときに欲しい感情ではないんだな。

ある程度のトライ&エラーがあるべきだな、と思った。

 

20220202 ecosystem11



〇と△はこれで11回目。

 

飽きている。

このために時間を使うのがもったいないと感じてしまっている。

 

この境地から自分はどこに向かうのか。

 

クロード・モネは、睡蓮の絵を200枚以上描いた。

睡蓮は極楽浄土に咲く花、

亡き妻への鎮魂の意味を込めて描かれたという。

 

自分のテーマを見つけてそれに打ち込むという姿勢に憧れる。

20220202 クリスタルタワー

 

夜にもう一枚絵を描く「クリスタルタワー

 

最近の升目グラデーションの中では最高の出来。

簡略化したらロゴにもできそう。

 

* * *

 

昨日の

「自分がどこにたどり着くのか、着かないのか」

とか以前の短期的な問いとして、

「自分は絵を描いて、どういう気持ちを得たいか」

というものがあるな。

 

いま思いつくのは3つ。

 

1つ目は、

満足する絵を描けたときの喜び。

 

2つ目は、

自分が描いた絵をポートフォリオに積み重ね、それを眺めるときの喜び。

 

3つ目は、

誰かが「いいね」と言ってくれた時の喜び。

 

1つ目と2つ目は、自分だけで達成できるものだけど、

3つ目は自分だけでは達成できない。

 

自分の満足を追求することと

他人に認めてもらえる価値を提供すること、

両方をバランスよく得るためには、どう向き合っていけば良いのか。

 

20220201 ecosystem10



10回目。

 

何のアイデアもなく描き始めたが、

〇と△の配置はバランスよく、

ロボットの顔になり、

グラデーションも味わいがある。

 

意識しなくても良いものができる関係になってきたのか。

 

・・・いや、何か見たことあるなと思ったら、

「ダ〇ボ―」じゃんよ。

 

 

 

20220201 デジタルカーテン

 

妻が子ども連れて実家に帰っているので、

帰社後に本屋に寄ってブラブラ散策。

 

アートコレクターズ『完売作家』を購入した。

 

 

日本にも素晴らしい絵を描く人はあまた。

 

彼らと・・・自分が勝負できるか、

と自然と頭をよぎる。

 

いや、できんだろ。

おこがましい。

絵に懸けている時間や思いが違いすぎる。

 

絵で名を馳せたいのなら、別の戦略・スタンスが必要。

例えば、バンクシーのような、

絵の完成度以外の部分でも

価値を評価してもらえる存在になれるか。

 

ランチェスター戦略というのかな。

 

家に帰り、A5サイズで升目のグラデーションを2枚。

この絵ともう一枚は下のリンク。

toshikokkoko.hateblo.jp

 

・・・自分でも何がしたいかわからない。

 

描きたいアイデアは湧くけれど、

「これだ!」と自分が没入し、

心底惚れ込む気持ちが弱い。

 

近づいては遠ざかる。

たどり着けない。

 

1000枚描けば何か見つかるのかな。

 

そんなもん、わからん。

 

そもそも、たどり着かなくてはいけないのか。

 

そもそも、たどり着きたいのか。